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上:コノシロの姿寿司。 |
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定刻に到着した二両編成のワンマンカーはがらがらに空いていた。明媚で長閑な田園風景の中を行く。遍路道は予讃線と絡み合うようになっているため、懐かしい風景も随所で見かける。
乗車時間18分で伊予小松に到着。予定通り歩いていれば、回り道を辿るとはいえ九時間ほどを要しているはずだ。
ともかくここへ来た目的である食事場所を探した。ごく小さな駅前広場に面して一軒の大衆食堂とその筋向かいにハイカラな装いの洋食屋がある。洋食屋は若者向けの雰囲気ゆえ敬遠し、いぶしのかかったような食堂に入った。
先客は四人いて、店の中央に常連らしいオバサン二人、奥の方にさらに馴染みらしいオヤジが二人ビールを飲んでいた。いかにもローカル線の駅前食堂らしい雰囲気に嬉しくなる。七十近い店のオヤジが水を運んできたので、冷や酒と野菜炒めを注文する。昨日に次ぐ野菜炒めなれど、メニューからは他にツマミになりそうなものが見当たらなかった。
多少待たされて運ばれてきた野菜炒めは、鉄製の小判型ステーキ皿の上でジュウジュウ音を立てている。いささか意表を突かれたが、食べてみてさらに驚いた。材料として、豚肉、タマネギ、キャベツ、モヤシなどの一般的なものに加え、グリーンアスパラ、筍、生椎茸など全部で九種類も使用し、そして美味である。
このような不意打ちは嬉しくなる。足の故障によりこの店にたどり着いたならば、まさに塞翁が馬と云うべきか。二杯目を飲み始め、もう少し余裕を持って店内を観察した。カウンターの片隅には中皿に盛られた数種類の総菜と姿寿司がある。最初からこれに気付けば、総菜をツマミにしていたと思うが、野菜炒めに不満はない。今は飲んだ後の姿寿司に興味が移った。
席を立って、カウンターの中にいた女将に尋ねる。魚はコノシロで彼女の手作りだった。伝統的なスタイルは頭を付けたままで出し、頭ごと食べるものであったが、今となってはこのような食べ方をする人がほとんどいなくなってしまった云う。ちなみにコノシロに馴染みがなかったけれど、小型のものをコハダというらしい。これならば寿司ネタ、あるいは正月食品として関東でもごく一般的だ。
閑話休題、三杯の酒と姿寿司に満足して店を出る。出掛けに夜の営業時間を尋ねた。西条で好みの居酒屋が見つからなければ、此処まで来て総菜で一杯やるのも悪くないと思ったためだ。こんな問いかけは店の人にとっても嬉しいらしく、にこにこ顔で8時までと教えてくれた。
午前中の好天は去り、小雨模様になっている。傘をさすほどではなく、西条までの10キロをのんびりと歩いた。思惑通り3時ちょっと過ぎに宿へ到着。
チェックイン後、朝食用食料をコンビニエンスストアで調達し、ついでに駅界隈の飲み屋事情を概観するが、あまり魅力的には思えない。駅に寄って列車の時刻を調べた。4時58分で伊予小松へ行き、6時59分で戻れば良さそうだ。 |
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晩酌にイカの煮物、コノシロ天麩羅の煮付け、蕗、虎杖など。
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食堂の外観。
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シャワーを浴びてから時間調整し、予定の電車に乗る。小松まで12分の乗車で運賃は210円。車内は下校中の学生が中心で、座席はほぼ埋まっている。利用者が多いためか、車掌も乗務していた。
食堂の引き戸を開けると、客はおらず片隅に女将と亭主が坐ってテレビを見ていた。まさか来るとは思っていなかったらしいが、すぐに笑顔で歓迎してくれた。
昼間、食べ損なった総菜料理で飲む。コノシロの煮物は温め直してくれた。電子レンジなど使わず、油で揚げ直すと云う。この店らしくて良い。オヤジは無口だが女将の方はうるさくない程度に抑制を利かせ、気さくに四方山話をする。
この地方も魚類は安価らしく、商売をしていることもあり、何かというとトロ箱で買い込んで捌くらしい。キビナゴならば百匹ぐらい、コノシロでも三十匹くらいをおろすのは日常的なことと云う。
以前は旅館も営業していたらしく、その当時は石鎚山の山開き前日に大勢の宿泊者があり、一番乗りを目指して深夜に出発する人が多くて大変だったとか。広島や熊本からも講を組んで多数来たらしい。
さらに先代の若い頃は、部屋だけでは泊めきれず、食堂の椅子机を全部表へ出し、布団を敷き並べて雑魚寝をした。そこまでは良いが、酒に酔って頻繁に喧嘩が始まり、血みどろの乱闘騒ぎがつきものだったそうだ。
話題もツマミもご機嫌で六杯を飲んで打ち上げにした。いささか酔い過ぎたようにも思うが、それでも帰りがけに店の外観を撮影をできる程度ではあった。
8.民宿岡田
2時半に目覚ましで起床する。今日の行程と体調その他を勘案し、せめて半時間早く出発することにしたのだ。窓を細めに開けて表の様子を窺うと、小雨が降り続いているが、風はない。
食事しながら、地図に書き込み、予習。荷造りや足肉刺のメンテナンスとトイレなど思った以上にもたついてしまった。ザックにカバーを掛け、折りたたみ傘を差して出発したのは4時40分になっていた。宿の位置が遍路道から大きく外れていたこともあり、暗いうちは判りやすい国道を辿った。夜が白々明ける頃、旧道に分岐し、間もなく遍路道に合流する。
以後延々と旧道歩きが続く。交互一車線程度の舗装道路だ。8時頃に雨は上がり、10時に土井を通過する頃には強い日射しが戻った。折りたたみ傘を日傘替わりに使いながら乾かす。土井を過ぎて間もなく、乾いた傘を畳んで、臭気に憮然としつつ日焼け止めクリームを塗る。
11時を廻り、寒川辺りで遍路道を離れて国道を行く。勿論、遍路道の方が歩きやすいけれど、食堂その他がないため、そのままでは昼飯抜きになってしまう。保存
協会地図から三島市街はずれのファミリーレストラン・ガストをターゲットにしていたが、だいぶ手前で回転寿司店を見付けてそちらへ入った。機会を確実に利用した方が、旅先ではリスクが低くなる。
ファミリーレストランや回転寿司は、およそ縁がないため気後れはあった。ともかく冷や酒を頼むと、即座に運ばれてくる。ツマミも眼前のものを取るだけだから、これまた待つことがないに等しい。厳しい行程で、食事時間を切りつめたいから、これは気に入った。
正体不明の皿があったので、目の前にいた店長に尋ねると、鯛のあら煮と教えてくれ「旨いですよ」と云う。異議はないが、丁寧に食べていると時間がかかりそうなのでパス。半時間かからずに三杯と数皿を平らげ、勘定は二千円強。安くて早く、現物を確認してから食べられるのも良い。急ぎ旅の際には利用価値が高いと思う。遍路道沿いにはないのが欠点だが。
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三角寺。
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地図で至近ルートを探し遍路道に戻る。住宅地の中を抜け、高速道路をくぐると、間もなく三角山への登りが始まる。標高差250メートルばかりなので大したことはない。三角寺に着いたのはそれでも2時20分になっていた。
ここから椿堂までは、舗装されているがほとんど車の通らない、眺望にも比較的恵まれた道だ。沿道ではかつて三星ゴルフ場が営業していたけれど、倒産して久しい。しかし工事関係のトラックを数台見かけたので、再開の動きがあるのかもしれない。
椿堂を過ぎると、国道192号線の緩い上り坂を歩かされる。民宿岡田に電話し6時半を目標に歩いていることを伝えた。遅めの到着になるので余計な心配をかけたくない。
味気ない国道歩きが半時間以上続き、境目峠のところでようやく遍路道が分岐する。ところが分岐してすぐのところにある道標に左方向がAxxx Bxxx
と書かれていたので、右が@かといい加減に判断した。この道標は岡田のオヤジさんが設置したものと後で判り、@は保存協会地図を参照すれば、まるで無関係の方面であった。
つまらない間違えをしたけれど、右方向へしばらく行くと雲辺寺を示す道標も出現し、多少遠回りしたものの、無事境目峠を越えることができる。再び国道と合流するところにドライブイン水車があり、コンビニエンスストアを併設している。ここで明日の朝食調達を考えていたが、水曜定休で当てが外れた。岡田では昼食用のお握りを「接待」してくれるので、これで何とかしのごう。
宿へ到着したのは6時10分だった。三年前には5時前に着いたのに。前回の方が早い理由に、昼飯抜きで、境目トンネルを通過したことが挙げられる。しかし距離的には今回の方が4キロほど短いので、総合的に考えれば、やはり衰えていると云うことか。
案内された部屋は前回と同じだった。馬路川のせせらぎを見下ろす良い部屋だ。しかしそんな楽しみもそこそこに、急ぎ汗を流す。他の宿泊者は全員風呂も済み、食事が始まろうとしていた。
遅れて食卓に参加する。六畳の台所を兼ねた和室で、一つの食卓を囲む。多少狭い感じもするが、お互いの物理的距離の近さは心理的なものにも影響するのか、和気藹々となる。此処の夕食に対する期待が、今回の旅を思い立った動機の一つでもあった。何故そうなるのか?
宿泊できるのがせいぜい八人程度(この日は私を含めて七人)と、こぢんまりしている上に、立地条件から歩き遍路しか泊まらないのが良い。そして何よりも大きいのはオヤジさんの人柄だろう。民宿経営者の良心と云ったものを越え、お遍路に対する接待の精神に満ち溢れ、そのことを楽しんでいる様子が宿泊者を和ませる。
遅れての参加だったが、同宿者との会話を楽しむことができた。二十代の女性一人と、後は皆六十過ぎで、夫婦が一組、残りはオヤジ遍路だった。此処まで来たと云うことは六十五カ所、千キロ以上をこなしているわけで、それぞれ話題も豊富だった。
9.善通寺へ
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雲辺寺へ登る途中で朝日を眺める。5時49分、標高500メートル。ちなみにこれまではデジタルカメラデータから時刻のみが判ったが、今回はGPSにより、位置情報や標高も判る。 |
4月26日、旅も終盤に近づいた。三年前にこの辺りを通過したときは三段跳作戦と自ら名付けた行程を組み、最後のジャンプで善通寺に着地するはずが、体調などの理由ではなく、宿を見付けることができない故に転けてしまった。その口惜しさが、主たる動機となり旅だったものの、助走を失敗し、ホップ(踏切?)で転け、既に三段跳びは成立しなくなっている。それでもせめてジャンプだけ
はまともに着地したい。
そんな覚悟で3時起床、5時出発を実行した。同宿者は寝静まり、母屋に明かりは点いていたものの、状況が判らないので、声を掛けることもなく歩き出す。山間にある佐野集落はまだ夜のとばりから脱していなかったが、登山口に着いた頃には、道筋や道標をはっきり目視できるまでになっていた。
杉木立の中に急勾配の、それでも歩きやすい道が続く。傾斜はほぼ一定で、途中に下りがないことも高度を稼ぐ上で有り難い。一時間弱で標高差400メートルを登り、上の舗装道路へ出た。
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雲辺寺大師堂。
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雲辺寺からの下り山徑分岐点。
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此処から雲辺寺までほとんど舗装道路を歩く。途中軽乗用車に追い抜かれ、車内には白装束の若いカップルとテリア系の小型犬の姿が見えた。
間もなく雲辺寺到着、6時50分。納経所は閉まっているし、ロープウェイは勿論動いていないので、境内は閑散としている。標高900メートルなので気温9℃と低めだが、歩いて温まった体には気持ちよい。
大師堂の前で先ほどのカップルが読経を行っていた。手前の金剛杖立てに犬が繋がれていた。特注(?)の南無大師遍照金剛が墨書された白衣を着せられている。ひょっとすると「境内に犬の連れ込み禁止」対策かもしれない。
境内が深閑としていたため、つい長居をしたが7時5分に下山を開始する。急な下りが標高差にして700メートル続き、登りより厳しく感じられた。三日前に仙遊寺からの下りで足肉刺を傷めた記憶がまだ鮮烈なので、足裏に負担をかけないよう、慎重に下った。
およそ1時間半で開けたところに出る。ミカン畑の間に続く舗装道路は、相変わらず下るものの、勾配は緩やかだ。今日の行程で最大の難所は通過したが、距離に関しては33キロも残っている。記憶に残る道筋を脳裏で再現してみると、うんざりするばかりだが歩くしかない。気持ちよく晴れ、爽やかな風が吹くことを励みに前進した。
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9時45分に太興寺へ辿り着く。入るときは遠回りながら一応表の山門から行き、出るときは近道の駐車場から遍路道へ戻る。田園風景の中の、長閑にせよ面白味に欠ける路を耐え歩き、国道11号線を越えて間もなく、二十人弱の団体に追いついた。先頭としんがりは墨染めの衣を纏う僧侶だから、どこかの寺が主導し、檀家の連中と歩いているのだろうか。人数が多いので挨拶も面倒に思われ、道路の反対側を通って一気に追い抜いた。
以後、神恵院、観音寺、本山寺を訪れ、本山寺を退去したときは12時半を回っていた。このすぐ先に三年前利用した、日本料理の店があるはずだ。丁度頃合いも良く、これを目指して歩みを早めた。
東側の門を出て、門前町商店街を抜けると、国道11号線に合流する。この辺りと見回したが見つからない。
菊川郊外のラーメン屋みたいなこともあるから、これもまた記憶の錯乱かと、ともかく善通寺を目指して歩く。10分ほどして、(記憶通りの右側に)紺色暖簾の一平食堂を見付けてホッとした。記憶の当てにならなさと、「近くに在って欲しい」願望に引き摺られることをしみじみ思う。
イカ刺しともずく酢で冷や酒を始める。鰹のタタキが気になったが、冷凍物と聞いてやめにする。オヤジに云わせれば冷凍の方が品質的に安定するとのことで、確かに高知あたりのように安定した消費が見込めないところでは致し方なかろう。替わりに鯛頭のあら煮にした。昨日、食べ損なった恨みもあったし。
1時を過ぎて他に客もいないため、オヤジと四方山話になる。三年前にこの店を訪れたことを言うと、風貌を僅かながら覚えていたらしい。禿に髭ならば記憶に残りやすいだろう。彼も八十八カ所を詣りたい気持ちはあるが、それとは裏腹に、ここ数年休むことなく営業しているそうだ。
この日は「たかだか全長48キロ」の気持ちがあり、つい寛いで昼食に一時間費やした。2時に店を出ると、気分を引き締め弥谷寺を目指す。10分ばかり歩いて男女の学生風遍路に追い着いた。カップルではなく、たまたまその時一緒になったらしい。
男の子は先ほど門前町商店街の肉屋店内で見かけたので、そのことを訊くと、ニッと笑って「コロッケを買ってました」と教えてくれた。しばらく三人で歩いたが、ペースが違うようなのでバラバラになる。私が一番早く、彼は荷物が重いのか一番遅い。
至る所に溜め池のある、讃岐らしい田園風景の中を行く。途中国道へ戻り、ローソンで水分補給用のお茶ペットボトルを買い、ついでにトイレを拝借。遍路道に戻ろうと
して、合流点で先ほどの女の子とばったり出会う。今日どこまで行くのか訊くと「門先屋さんまで」との答えだった。三年前失速して泊まった宿だ。
そこから一時間ほどで弥谷寺に着く。本堂にいたる380段の階段で、一応難所と云うことらしいが、標高差にすれば80メートルほどで、息を切らすこともなく一気に登りきる。
本堂前は視界が開け、今日歩いてきた観音寺平野を見渡すことができる。参拝に来たジイサンと、彼方に霞む山嶺が剣山かどうかなど話し込んでいると、横を先ほどの女の子が通り過ぎていった。
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