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加茂湖。
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7時40分に出発する。96歳のオバアサンは縁側のガラス戸を開けて見送ってくれる。オカミサンは駐車場の上から見送り、昨日はほとんど姿を見せなかったご主人は、県道への車乗り出しを誘導してくれる。大旅館が団体客に対して行う「お見送り」とは全く異なり、ほのぼのとした人間的交情が嬉しい。
昨日の道を忠実に逆走する。見行崎の話しでは近道もあるらしいが、知らない土地だから「急がば廻れ」で行く。両津に着いたのは8時20分だった。
フェリーボートの出港は9時20分で、乗船開始が8時50分頃だ。暇潰しに海とは最小100メートルほどの地峡で隔てられた加茂湖(現在は開鑿された水路により繋がり、汽水湖になっている)を見物に行く。しかし展望場所も、湖の周辺も、水面と標高があまり変わらないため、景観にメリハリがなく詰まらない。数分で引き返し、乗船場所へ行くと、順番に並べているところなので行列に加わった。
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出港直後に両津を振り返る。停泊中の白い船は、両津、新潟を一時間で結ぶジェットフォイル船。
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定刻に乗船する。隣には大型観光バス四台が駐車し、良く見ると来る船で一緒だった××高齢者クラブのバスだ。
出航後10分ほどすると左舷方向200メートルほどを、ジェットフォイル船が猛スピードで追い越していった。乗用車は積載しないから、我々が利用することはできないが、仮に可能でも利用したいとは思わない。座席に拘束されたままで、船旅の面白さなどまるで感じることができないから。ビジネスその他で度々渡海し、景色など見る気になれない人には、時間短縮の魅力が大きいであろうが。
天気は良く、気温は18℃なので、船の進行に伴う風をコートで防げば寒さを感じない。そんなことでほとんどをデッキで過ごした。新潟港にだいぶ接近した頃、今度は右舷側をジェットフォイル船がばく進してゆく。先ほどの船がもう折り返してきたらしいが、忙しないことだ。
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折り返してきたジェットフォイル船。
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新潟港に到着し、下船する順番は早かったが、交差点などでもたつく内に、あっさり大型観光バスに追い越されてしまった。幸いなことにいくらも行かないうちに、高速道路に乗る彼等と別れ、我々は国道を走って食堂を探す。
しばらくは広い駐車場を備えたチェーン店型ドライブインが散見されたが、「あんなところで飯を食いたくない」などと贅沢を云っているうちに、パタリと途絶えて以後は全くない。「新発田市街に入っては?」の提案もあったが、勝手の判らない街中をうろついて、一方通行や駐車場で苦労するより、このまま行くことにした。最悪のケースでも一食を抜くだけのことだ。
国道7号線
はバイパスが新発田市街を迂回するように造られている。このバイパスに入って間もなく、左側に紺の暖簾に「和食」と大きな文字を白抜きにしたのが見えた。隣が駐車場のドライブイン型食堂らしい。あまり贅沢云う気も薄れ、此処で妥協することにした。店に入ってみると、和食はもちろん、洋中華も揃えたファミリーレストランだ。好みではないが、チェーン店ではないし、禁煙席があるのは良い。
Tは「天ぷらへぎそば」、私は冷や酒とブリかまを注文する。酒とへぎそばは即座に運ばれてきたが、ブリかまが中々登場しない。
ウェイトレスに尋ねて、思い違いをしていたことに気付く。アラ煮的なものを想定していたが、揚げ物だった。特別メニューとして揚げ物五種類のところに記されていたから、気がつかない方が悪いのだが、老眼と思いこみのため、詰まらぬ失敗だ。しかしこの品も間もなく登場。急ぎ三杯飲んで勘定は二人合わせて2,814円。
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新潟県岩船郡山北町の鳥越海水浴場。奥に見える岩壁の向こうが笹川流れ。
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食事が済んだあとは、他にする宛てもなく、ひたすら酒田を目指す。途中小休止したのは新潟県の最北部にある鳥越海水浴場と、山形県に入り奥羽三大古関の一つ鼠ヶ関を過ぎてしばらく
行った道の駅の二回だけだった。
行く道の選択は、カーナビゲーター任せだったが、7号線で鶴岡を過ぎると、自動車専用道路(山形道)に導かれ、二区間ほど走って酒田インターチェンジで降りる。此処まで来れば、今宵の宿、ホテルリッチ&ガーデン酒田までは10分の走行だった。4時20分にチェックイン。
5時半までそれぞれ自室で寛ぎ、晩飯がてら一杯やりに出かけた。あまり期待もせずにフロントでお奨めの居酒屋を訊くと、「さかたグルメ マップ」なるA4版で、片面に地図、裏面に四十軒ほどの飲食店がリストされたものをくれ、「この近くならば漁師さんがやっている章新丸」だと云う。その上で、休みが不定期だからと電話で確認、幸い営業中だった。
徒歩五分でたどり着いた店は、閑静な住宅街にある一戸建てだった。店の前で白猫が遊んでいて、こちらに気付くと愛想を振りまく。引き戸を開けると、すっと中に入ったので、飼い猫と判った。先客はなく、六十半ばの夫婦でやっている。冷や酒を頼み、お奨めの刺身を尋ねると「うちのは全部お奨めです」と、いささか憮然としたような返事だ。
「これは難しいオヤジかな?」と思ったが、取り敢えずヒラメとホウボウの刺身を注文し、冷や酒を飲み始める。しばらくしてヒラメが登場、旨い。もしかしたら本当に「全部お奨め」なのかもしれない。続いて供されたホウボウは、胸ビレをピンと拡げて化粧盛りにしてある。これも旨い。
カミサンも含めて四人でぼそぼそ話し始める。
オヤジさんの朴訥な口調は好ましく、最初に危惧したような気難しさもない。店を終わって深夜に出港し、刺し網を仕掛けて朝引き上げる。これと居酒屋との兼業だから、随分大変な労働だと思う。これまで旅をして、全国の居酒屋をかなりの数訪ねてきたが、現役の漁師がやる店は初めて、しかし仕事の厳しさを思えば、むべなるかなと納得する。
ちなみに、漁の具合によってはやむを得ず店を休むと云う。休み不定期の理由が判った。ツマミにイカの一夜干しや漬け物を追加しながら、二人でおよそ一升。酒と肴を堪能して宿へ帰る。
4.山居倉庫と土門拳
記念館
今回の旅で、酒田が立ち寄り先となったのは、かねてよりTが土門拳記念館訪問を望んでいたためだ。他にあてはなかったが、酒田の観光資源を調べると、山居倉庫と本間家旧本邸などが大物らしい。
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朝日を浴びる山居倉庫。
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倉庫西側のケヤキ並木は、度々ポスター等に使われ、一番有名らしい。
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取り分け1893年に建造され、未だ現役の米蔵、山居倉庫は、宿から徒歩三分で行ける。早起きはいつものことだから、朝食前の時間を利用して一人で訪れた。観光客がまだあまりいないだろうことも期待して。
5時半に起きて、カーテンを引き開けると、好天気だ。正面には朝日を受けて銀雪を煌めかせる鳥海山の雄大な景観が見える。のんびり支度をして表へ出ると、意外に寒く感じる。気温は12℃だが、風が強いせいだろう。
すぐ目の前に駐車しているTの車から、ウィンドブレーカーを取り出して着込んだ。
車の往来もまだ閑散としている国道113号を渡る。前方を行く男三人は、同じ宿から倉庫を見物に行くところらしい。前方の橋を渡ってくるのは、いかにも朝の散歩。しかし見かける人影はその程度で、辺りは静まりかえっている。
倉庫に接近する前に、新井田川に架かる橋の上から数枚撮影。朝日に映える白壁が美しい。
もともとは酒田米穀取引所の付属倉庫で、取引所廃止後も庄内米の備蓄庫として利用され、一部は観光施設や博物館になっている。そういった施設は全部9時開館だが、どうせ寄る気もない。半時間以上かけて、辺りの散策と写真撮影を楽しんだ。
帰り道は新井田川に沿った迂回路を選ぶ。川縁は道路より一段低くなり、一見して遊歩道のように見えるが、立入制止のロープがあり、小型漁船専用の埠頭なので、一般人の立入を禁止するとの制札がある。昨晩行った居酒屋のオヤジも、この辺りから出港するのだろうか。章新丸の船名を見付けることはできなかった。
7時からの朝食堂でTと一緒になる。此処の朝食はビュッフェ形式で、料理種類、質ともにまずまず。食事しながら山居倉庫を見物したと話す。土門拳記念館の開館時間から逆算し、8時40分をチェックアウト時刻にした。Tはそれまでの空き時間に倉庫見物をするらしい。
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谷口吉生設計の土門拳記念館。
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部屋で「イタリア北部紀行」の推敲で時間を潰す。予定通りに出発し、記念館に着いたのは8時50分だった。
敷地面積20ヘクタール弱の飯森山公園の中ほどに、1983年にオープンしたこの記念館は、名誉市民になった土門拳が、全作品を寄贈したいと申し出たことに応えてできたという。周辺には体育館や多目的グラウンド、ピクニックサイトなどが整備され、この日のように天気が良いと、取り分け気持ちの良い場所に感じられる。
開場と共に一番乗りした。順路の企画展示室Tでは、「江東の子供達」を中心とした子供のスナップ写真で、我々の幼年時代に重なるものがあるだけに、懐かしいような気分で眺めて行く。
常設展示室は古寺巡礼の室生寺で、最大縦180cm×横360cmに大伸ばしされたパネル群は迫力がある。
企画展示室Uは酒田山王祭で、記念館ができるまでほとんど公表されることがなかった作品が並んでいる。酒田生まれながら、幼くしてこの地を離れ、四十数年後に祭りの取材のため初めて帰郷したそうだ。この訪問を契機に、彼は酒田との結びつきを深め、ついには名誉市民、記念館の流れができた。
一時間強を鑑賞に費やす。館内は次第に入場者が増えたものの、それでも十人程度で、最後までゆっくり「土門拳」を堪能することができた。
退場し、駐車場へ向かって漫ろ歩く。館内とは対称的に人が増え、目立ったのは幼児とそのオヤの団体だ。駐車場には大型観光バスが数台停まっている。緑が多く、交通事故の心配がないこの公園は、遠足の目的地として人気なのだろう。
次の訪問地を相談する。当初は本間家旧本邸を考えていたが、土門拳の作品に圧倒されたのか、軽い疲労を覚え、続けて何かを見たい気分ではなかった。Tの疲労度は良く判らなかったが、「旧本邸」と云ったものに、それほど興味はないらしく、それならば一路角館を目指そうと云うことになった。
5.角館
国道7号線を北上する。いずれ自動車専用道路(山形道)が延びるであろう。実際工事中の箇所も度々目にした。しかし少なくともこの日の国道は空いていたし、先を急がない我々にとっては快適なドライブが続いた。時速50キロ程度で走行すると、窓を開けて爽やかな外気に吹かれながら行くことができる。
一時間少々で象潟を通過する。此処にある蚶満寺は、奥の細道最北の地で「象潟や 雨に西施が
ねぶの花」が有名だが、わざわざ寄る気にもならず、通過した。しばらくして由利本庄市に入り、ここら辺から食事場所を物色し始める。
11時50分頃に「ドライブイン広場」の看板が目に入る。徐行して観察するが、名前に見合ったようなさえない店だ。しかしそのすぐ先に、根暖簾が下がり、「六兵衛食堂」の白字が見えた。古い和風一軒家は好ましい雰囲気だ。
目に入ったのは小上がりで漫画週刊誌を読むセールスマン風一人だが、鉤の手になった座敷に、近隣のオバサン達が十人ほどで、会合の開けたあと食事に来たような雰囲気でおしゃべりに余念がない。
食堂を切り盛りする老夫婦は、オバサン連の注文をこなすのに専念し、調理場に籠もったままだ。Tが調理場入り口の暖簾に頭を突っ込み、(自分用に)肉鍋定食と(私の)冷や酒および野菜炒めの単品を頼んだ。ジイサンが「今混み合っているので、もう少し待って.
. . .」と申し訳なさそうに返事するのが聞こえる。
しかし間もなくオバサン連の料理が続々と通過し、冷や酒とお通しが来るのにもさほど時間はかからなかった。
一杯目を半分まで飲まないうちに、野菜炒めと肉鍋定食も到着する。野菜炒めは旨かったが、特筆するようなものではないのに対し、肉鍋定食は中々のものだ。鍋と、刺身、野菜
煮物の小鉢、お新香とご飯。
土鍋の中身は豚肉薄切り、トーフ、しめじ、白菜、いとこんにゃく、春菊で、生卵が付いている。ぐつぐつ煮立っているところに、生卵を入れて蓋をし、しばし。調理場でやったって良いようなものだが、趣向としては楽しい。汁は「うどんつゆで薄味でおいしかったよ」とはTの言。これで1,100
円は安い。ちなみにTは近年刺身はほとんど食べないとのことで、小鉢はそっくりこちらが頂いた。酒のツマミにアクセントが付いて有り難かった。
六兵衛食堂で印象に残ったのはもう一つ、「本日の定食」だ。日替わり定食とは異なり、定番の定食から一つを本日の定食としてピックアップし、料金が100円安くなる。専用掲示板があり、本日の定食、と明日の本日の定食表示の下に、札を差し込めるようになっている。予告が出るのは「判っていれば××を昨日食べずに今日にしたのに」みたいな苦情が出ないよう配慮しているのだろうか。
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桧木内川越しに眺める角館市街。
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食事を済ませてからは一路角館を目指す。国道7号線を北上し、岩城から県道を東に向かい、程なく日本海東北自動車道へ乗り入れた。
急いではいないから、一般道を行っても良いのだが、カーナビゲーターの指示通りにする。設定をいじってナビゲーターに一般道を選ばせるのも面倒だし、今さら勘を頼りに走る気もしない。つまりナビゲータ
ーは便利な道具だが、人間が莫迦になる。
当初の予想よりだいぶ早く、2時をちょっと廻って角館の石川旅館に着いた。
すぐ脇にある駐車場に車を入れ、各自の部屋へカバンを置くと、すぐに街へ出た。私にとっては十数度訪れたところだが、Tは初めてだ。まず最寄りの田町武家屋敷通を北上し、ざっと街の雰囲気を感じてもらえればと思う。そのまま大村美術館へ。
此処は瀟洒な個人美術館で、オーナーの趣味の良さを反映したのか、収蔵品のみならず、全体の佇まいが良い。しかしここ数年は雪見酒紀行で訪れた日と休館日が重なり、残念な思いを重ねていた。Tはガラス工芸に興味を持たないが、嫌いと云うほどではないので引っ張って行った。
見覚えのある学芸員(?)が、一人で美術館と、売店、喫茶室を切り盛りしている。しかし半時間ほどガラス工芸鑑賞を堪能し、そのあと喫茶室でインド風ミルクティーを味わい、Tが本一冊を買う間、誰も他に訪れなかったから、一人800円の入場料ではもろに赤字だろう。それでも美術館を維持する大村さんには敬服するしかない。
美術館を出て、武家屋敷通りの中心とも云える樺細工伝承館の前で、Tと別れた。あれこれ案内するほど角館を知っているわけではないし、さらに自分の目と勘で歩き回った方が楽しいと思うから。
それぞれ角館を楽しみ、6時に夕食を共にする。
石川旅館は今時珍しく、朝晩ともに部屋食だ。なにしろ食堂とか大広間の類がないらしいので、「仕方なく」かもしれないが、1920年築造という建物を安易に改築などして欲しくない。
ともかく二階の私の部屋で宴会が始まる。料理のメインはきりたんぽ鍋。此処でこれ以外がメインだったことはないが、年に一度(今回は例外で二度)のことだから、食べ飽きることもない。その他サブの料理もほとんど変化がないけれど、むしろそれが「懐かしさ」あるいは「帰ってきた」と云った情感を醸し出す。
いつものオバチャンが配膳してくれて、ついでにしばらく世間話をしていく。Tがいたので遠慮したのか、普段よりは短い時間だった。そのなかで最近NHK秋田放送局に引っ張り出されたと云う。彼女の秋田訛りが聞き取れない部分もあったが、概略、――
昔ロケ(雲のじゅうたん?)で石川旅館に泊まった女優、浅茅陽子がオバチャンのことを忘れず、(何らかの企画で)秋田に来た際、是非出演して欲しいとなった
―― ような話しだった。(私は見ていないが)「雲のじゅうたん」ならば32年前のことだが、これだけの年月を経て、なお印象に残るようなところが、オバチャンにはあると思う。
翌日玄関脇の壁を見ると、此処に泊まったあまたの有名人色紙の中に浅茅陽子のものもあった。ついでに眺めて行くと、大物では黒澤明、面白かったのは海部俊樹、オヤジはどんな顔をして色紙を頼んだのだろう。
閑話休題。オバチャンが去ったあとは静かな宴会となる。今さらさほどはなす事もないし、酒と旨い料理があれば充分だ。窓を開け放つと、薄暮の空が美しく、流れ込むそよ風は爽やかだ。最初に頼んだ銚子6本が空になり、もう6本追加した。
追加の銚子を干して、酒は打ち止めにする。それほど大酔したわけではないが、何となく充分な気分だった。表はいつの間にかとっぷり暮れている。明日は家までの600キロをひた走るだけで、どこへ寄るつもりもない。ならばこれが打ち上げ、良き小旅行の余韻をしみじみ味わうのだった。
―― 完 ――
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