多良間

カーフェリー

 佐良浜港のうぷゆう
 
 多良間島行きカーフェリー。

佐良浜港に着いたのが9時40分。35分発が出たばかりだけれど、次の9時発で充分な余裕がある。船乗り場には「乗船券をあらかじめ購入して. . . .」の表示があるのに、売り場ははやて海運のものだけだ。待合室に売店が併設されていてコンビニエンスストア的品揃えで、お茶のペットボトルを買ったが、宮古フェリーの切符について尋ねると「船内で買ってください」の返事だった。二社で交互に高速船を走らせているのだから、切符ぐらい共同で売っても良いと思うが、どこかよそよそしい二社の関係だった。
  10分前に平良からの「うぷゆう」が到着する。下船が終わると待たされることもなく乗船開始。定刻に出発したときに三割程度の混み具合だった。後部デッキには出られるらしいが、飛沫しぶきがひどいようで、船室から出る人はいない。船窓も飛沫で滲み、景色を楽しむことは出来ないけれど、それも僅か10分。せわしなく平良港に着岸した。
  多良間行きのフェリー乗り場が判らない。取り敢えずターミナルビルに入って見回すと、多良間島海運の看板が目に入った。カウンターの奥が事務所になり、三人ばかり女性事務員がいる。尋ねると道順はすぐ教えてくれたものの、切符は船で買ってくれとのことだ。何のためにターミナルビルに入居しているのか?
  ともかく教えられた通り行くと、徒歩10分、平良港の北端近くにフェリーたらまが係留されていた。タラップがセットされていたのでそのまま乗船する。船員はいたけれど、自らの仕事が忙しいらしく、乗客に反応する様子などまるでない。仕方なく勝手に居場所を探すことにした。

 彼方に多良間島。
 
 多良間島前泊港。
 
 

船室は一つだけ「定員35名」と書かれたのがあり、畳の上に三人の男がバラバラに寝転がっていた。後部デッキは日除けのテントもなく、プラスチック製の椅子は薄汚い。どちらも意に染まぬ所ではあったが、取り敢えず後部甲板に席を占めた。
  雲がほとんどなくなり、日射しが強いものの、海を渡ってくる風も強いため暑さはさほど苦にならない。乗組員の動きが慌ただしくなり、定刻10時に平良港を出航する。この時点で多良間島の位置は知らず、船がどちらへ向かうか見当もつかずにいたが、どうやら西へ針路を取るらしい。
  20分ほどの航行で伊良部島の南方数百メートルの海上に達した。渡口の浜が白く輝き、カテラ荘近くの製糖工場や生コン工場の塔も小さいながらはっきり見える。左手の下地島上空では、訓練中の飛行機が繰り返し同じ航路を辿ってゆく。
  珊瑚礁の海は比較的水深が浅いのか、航路を示すブイが点々と設置され、海底に固定されているものも少なくない。下地島の島影が後方に消え去ると、後は一面の海原が拡がるだけだ。
  多良間島への渡航手段として船を選んだのは、2時間半が海上の風景を楽しみながら行くのに手頃と思ったためだ。その際に思い描いていたのは、96年にエーゲ海の中心部、キクラデス諸島をフェリーで彷徨った折り、船上から眺めた風物だった。しかし此処に誤算があり、島の多いエーゲ海なれば、断崖絶壁、それに打ち寄せる波、素朴な民家、放牧地を仕切る石積み、小さな港、など多彩なものが次々現れ飽きることがない。しかし茫洋と拡がる海原だけでは。
  かててくわえて風が強い。船首が波頭を砕くたびに、しぶきが風に舞って後部甲板まで運ばれてくる。濡れるほどではないから人間にとっては構わないけれど、カメラが潮水を被ることには抵抗があった。そんなことで10時半には船室に待避する。
  12時を廻った頃、前方に島影が湧き上がる。目指す多良間島らしい。そしてその姿が充分に大きくなり、船が減速し始めたとき、眼前に拡がる珊瑚環礁は今まで目にしたことのない色合いで印象的だった。

 

 ペンションあだん。
 
珍しい木造家屋。現在は廃屋に近い。
 

  ペンションあだん

  島での宿は電話で予約したペンションあだんで、 泊まれるということ以外は何も判らないけれど、港まで迎えに来ることにはなっていた。船が着岸してしばらくすると現れた、オバサンの運転する小型乗用車がそれだった。港から5分ほど、塩川の集落を抜け出た辺りにペンションあだんはあった。
  一昔前の飯場を思わせるような、筋交い剥き出しのプレハブ建物に驚いたが、今更宿替えもままならない。ともかく一泊二食5,000円の料金を払ってチェックインした。部屋は二階の一番奥で、内玄関に四部屋が一組になり、これにトイレ・シャワーのセットが二つ着いている。建てられてからそれほど年月を経ていないようで、内部は綺麗だった。しかし窓は頑丈な金網で仕切られ、収容所にでも入れられたような気分も脳裏をよぎる。
  若干ペンションのために弁護すれば、筋交いも金網も台風対策なのかもしれない。一般民家のほとんどがコンクリートの四角い箱みたいな形状で、さっぱり木造瓦屋根を見掛けないのが台風に耐えるためならば、プレハブにしても筋交いによる補強や、金網による飛来物対策が必要なのかもしれない。
  閑話休題、若干船酔い気味で食欲のないT夫人を部屋に残し、Tと共に食事へ出掛けた。実のところこのペンションでは昼食堂、夜居酒屋も経営している。しかし後二食は此処で摂らざるを得ないならば、せめて昼飯ぐらいは多良間の雰囲気を味わいながらよそでと考えた。
  集落の中心には小振りなスーパーマーケット二軒、村役場や農協、旅館があったものの食堂はない。結局見付かったのはペンションの筋向かいにある食堂東だけだった。そしてこの店も酒を飲ませて貰えるか尋ねると、客のいない店内で暇そうにテレビを見ていたオカミサンは「済みません、ビールしかないんです。焼酎だったら向かいのあだんで」という始末だ。
  そのあだんも「昼はビールだけ。営業時間は1時半まで」という。時計を見れば残された時間は30分なかった。そそくさと二杯の生ビールとなにがしかのつまみを平らげ部屋へ戻る。

 

 ふる里海浜公園で東方を望む
 
 同公園で西方を望む 前泊港西側。

  ふるさと海浜公園

  4時半を廻って、「ともかく少し島見物をしておこう」と、Tと外出した。手がかりになるものといったら、迎えの車中でオバサンから貰った「多良間村 Guide Map」だけだ。八重山遠見台が「屈指の景勝地」として薦められていたので、余り期待せずにそちらへ向かう。
  Guide Mapの地図は省略が多くて細部がはっきりしない。ともかく高い方へ行けばよいかと、当てずっぽうに道を選んで進んだが、それなりの高台に設置されている鉄塔の下まで辿り着いて、遠見台へは繋がっていないことが判明した。いったん下って出直すのも業腹だし、最初から遠見台への期待は薄かったこととあわせ、方針を変更する。北へ下る道の向こうに、海原と水納島 みんなじまが見えたのだ。
  (行き着くことの出来なかった)島の最高地点が標高34.2メートルだから、海辺へ下るのはすぐだ。車の往来がさっぱりない県道283号線を渡るとすぐ浜だ。渡口の浜と同じ、珊瑚の風化した柔らかい砂が風紋を描いて拡がっていた。数百メートル続く浜に人影は全くない。
  外洋から珊瑚礁で守られているためか、打ち寄せる波がほとんどなく、海とは思えないような静けさだ。渚を東へ向かって歩く。15分ほどで前泊港の西側に出た。3歳くらいの男児が浮き輪にはまっているのを父親が紐で引っ張って遊ばせている。
  ほのぼのとした光景にシャッターを切ると、男児は笑いながらこちらに向かって手を振る。二人でこれに応えると、父親が振り返って頬笑みを浮かべた。都会では既に失われてしまった、素朴なふれあいが島ではまだ可能らしい。確かに此処では誘拐犯などが跋扈する余地はなさそうだ。

 

 あだんの夕食一式。

あだんの夕食

  6時半から 夕食にする。酒は正直なところどれでも良かったが、多少縁もあり、そして食堂の壁にポスターも貼られていた菊之露、VIPの四合瓶を頼んだ。しかし注文を取りに来たオバサンは「それは現在品切れで」という。彼女は厨房に供給可能な酒を調べに行き、すぐに「ありました」と戻ってくる。昼間宿の前で目撃したことを思い出した。
  菊之露を三段積みにした2トントラックが配達に来ていた。その時「カーフェリーの船倉から瓶のぶつかり合う音が絶えず聞こえたのはこれか」と妙な親近感を抱いたものだ。ともかく運ばれてきた泡盛を水割りで飲み始めた。
  大して間をおかずに夕食の盆が到着。肉じゃがにゴーヤーチャンプルーが少々と汁だけだ。我が目を疑い、「もう一、二皿追加されるのでは?」など考えたけれど、そんなものは一向になかった。日本各地を旅して、宿の夕食も数百回は摂っているが、間違いなくこれが最貧で、他ではこれに近いようなものさえ記憶にない。
  宿泊料金5,000円は格別安いとは思えないし、現に伊良部のカテラ荘は4,500円だった。多良間島は離島である分、物価が高いのだろうか。一抹の侘びしさを抱きつつ飲み終えて就寝する。夜中に目覚めて夜空を見上げると、星が瞬いている。「満天の星か?」と、窓から首を出そうとして金網に 頭をぶつけそうになる。アーア. . . .

 

 
 
そこ此処で山羊を飼っている。食肉用か乳用か
 
  浜辺近くで数多く見掛けた花。名称不詳。
 
  港の東側にあるウカバ。海は綺麗だったが、浜には打ち上げられたゴミが散乱している。   竈と独特の形をした地釜。それにしても今時、薪を使用して何を煮るのか?

  島内散策

  標準的な(昨晩のように貧弱さに驚かされることのない)朝食を済ませ、8時から島内散策に出掛ける。昨日の午後体調を崩していたT夫人は初めて歩き回る多良間島だ。県道の一本東側にある裏道から前泊港へ向かった。
  道ですれ違うと「お早うございます」あるいは会釈で挨拶する人が多く、車で通りすぎる際にもフロントグラス越しに会釈がされる。集落内の道路ではどの車も徐行しているせいもあるけれど、基本的に流れる時間、そして漂う空気が都会とは異なっている。
  8時半の港は一台の軽トラックが、待っていたオヤジを自転車ごと積んで去った後無人になる。東側に延びるウカバの浜は指呼の間にありながら降りようとすると適当な径が見付からなかった。海岸沿いの舗装道路をしばらく東へ歩き、防潮林の間に踏み後を見付けて半ば藪の中に分け入った。
  その時ふと脳裏をよぎったのは「ハブはいないのか?」だ。それまでは「知らぬが仏」だったのに、意識すると不安になる。今更じたばたしてもそれこそやぶ蛇になりかねない。砂浜に出てほっとした。帰宅後ハブについて調べたところ、「標高の低い隆起サンゴ礁の島には生 息しない 」とのことで、多良間島においては心配無用だったらしい。ちなみにこの「おっかなびっくり」心理状態はTも似たようなものであったらしく、一方そんなことに一切惑わされず歩みを進めるのがT夫人なのだ。

 多良間空港のDH1。
 
 多良間島のたらま漁港付近。
 
 宮古島の来間島大橋と、珊瑚礁に
 白く砕ける波。
 島東岸にあったエビ養殖場。
 

  ハブと遭遇することもなく、一時間ほどで島内散策を切り上げた。 宿のそばまで来たとき、同宿のダイビンググループを乗せたマイクロバスとすれ違った。朝食時に隣に座ったおばさんが、早くもウェットスーツを着込んで「一潜りして昼の飛行機で帰ります」と口にしていたのを思い出す。
  珊瑚礁に囲まれた海の美しいこの島は、ダイビングにこそ向いたところなのかもしれない。その意味で、ふらふら迷い込んだ我々にとって、どこかちぐはぐな感じで楽しめなかったのも仕方ないのだろうか。

  宮古へ

  多良間飛行場までは宿の車が送ってくれた。4キロの道のりがあり、タクシー(勿論バスも)ないこの島では、車での送迎は宿にとって必須のサービスであろう。
  11時15分のRAC(琉球エアーコミューター)機で宮古へ引き返す。船で来たときは長く感じた道のりだけれど、飛行機だと巡航高度に達したときには、前方に宮古の島影が見える。定刻より5分早く出発し20分の飛行で 、11時半、宮古島空港に着陸した。
  同日、宮古発2時55分の那覇行きを利用する予定だから、約3時間の空きがある。今更島のどこかを見物に行く気にもならず、安直に、―― 景色の良いところで昼飯でも ―― ということになった。

 

  東急リゾートのバー・ムーンシェル。
  東急リゾート

  空港の客待ちタクシーに乗り、「景色が良くて昼飯の食べられるところへ」とリクエストすると、運転手の表情に客を値踏みするような気配が流れて「さーて」と口ごもる。我々の風体は、金持ちでないことこそ明らかだけれど、財布の中身を憶測しにくい胡乱なところがある。面倒になり東急リゾートの名を挙げてみると、景色も食事も問題ないだろうということになった。空港から10分だった。
  通常であればこのようなリゾートホテルを利用することはなかったであろう。過度に観光的だし、(原価を考えれば当然のことながら)料金が高い。しかしこのとき余り迷わず名前が出たのは、多良間島の反動が大きかったようだ。収容所とまではいえないにしても、学生の合宿所まがいを出て、多少贅沢をしたくなったのだ。別段節約できていたのではなかったけれど。
  車寄せに立つ女性コンシェルジェに食事できる場所を訊くと、バー・ムーンシェルで軽食、レストラン・シャングリラでランチとの返事だ。2時間強を潰すにはバーの方が向いているだろう。
  結論をいうと、2時間を快適に過ごし、料金も妥当なものであった。しかし次に宮古島で同じような時間潰しすべき状況に直面したときは別の場所を探すだろう。その程度のものであった。ホテルから空港へのタクシーは、来るときと同じ運転手だった。偶然とも思えないが、なぜそうなったかはっきりしない。ともかく2時55分のJAL514便で那覇へ向かった。

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